受験生必須?日本史・藤原氏

今回の記事は、Vegaさんから投稿していただいた資料集になります!

藤原氏、たくさん出てきて迷いますよね。
日本史選択者には分かる大変さ…。
クイズでも役立ちますので気合いで覚えましょう!

「時代の流れで覚えておきたい政権の中心を担った藤原氏」
藤原不比等ふひと父は中臣鎌足(藤原鎌足)で、『大宝律令』〔701〕や『養老律令』〔718〕の編纂に携わる。藤原氏の祖で四兄弟の父親でもある。
藤原宇合うまかい藤原四兄弟で、式家の祖。
藤原房前ふささき藤原四兄弟で、北家の祖。
藤原武智麻呂むちまろ藤原四兄弟で、南家の祖。
藤原麻呂まろ藤原四兄弟で、京家の祖。
藤原広嗣ひろつぐ【式家】藤原宇合の子。九州で反乱(藤原広嗣の乱〔740〕)を起こす。
藤原仲麻呂なかまろ【南家】藤原武智麻呂の子。淳仁天皇から「恵美押勝」の名を賜った。「恵美押勝の乱」〔764〕で道鏡に敗れる。
藤原種継たねつぐ【式家】長岡京の造宮使に任命されるも暗殺される〔785〕。
藤原緒嗣おつぐ【式家】「徳政相論」〔805〕で菅野真道と争い、自身の「蝦夷平定と平安京の建設の中止」が採用される。
藤原冬嗣ふゆつぐ【北家】巨勢野足こせののたりと共に初代蔵人頭に任命される〔810〕。
藤原薬子くすこ兄の藤原仲成なかなり【式家】と共に「平城太上天皇の変」〔810〕の中心人物となる。
藤原良房よしふさ【北家】太政大臣に就任〔857〕、期間中に「承和の変」〔842〕や「応天門の変」〔866〕が起こる。
藤原基経もとつね【北家】藤原氏で初めて関白になる〔884〕。宇多天皇と「阿衡の紛議」〔887~888〕で争う。
藤原時平ときひら【北家】「昌泰の変」〔901〕を起こす。
藤原実頼さねより【北家】「安和の変」〔969〕を起こす。村上天皇の時に、左大臣として右大臣の弟・師輔もろすけと共に朝政を指導して天暦の治を支える。
藤原伊周これちか【北家】叔父・道長みちながとの政争で対立し、『大鏡』にも登場する。
藤原道長みちなが【北家】藤原氏で最も権力を握り、天皇の外祖父にもなる。
藤原頼通よりみち【北家】宇治の平等院を創建した、藤原道長の子。
「文化人」
藤原兼家かねいえ妻に藤原道長を生んだ藤原時姫ときひめや『蜻蛉日記』の作者の藤原道綱母みちつなのははをもつ。
藤原実資さねすけ藤原道長の言葉「望月」が出てくる『小右記』の作者。
藤原公任きんとう『和漢朗詠集』の撰者。
藤原行成  こうぜい/ゆきなり平安時代の「三跡」の一人。
藤原佐理 すけまさ/さり平安時代の「三跡」の一人。
藤原隆信たかのぶ『弥世継』の作者とされる。
藤原定家  ていか/さだいえ『小倉百人一首』の撰者、『明月記』などの作者。
藤原惺窩せいか朱子学の一派・京学派の祖。門下生に林羅山がいる。
「その他の主要藤原氏」
藤原秀郷ひでさと平将門を射た弓の名手。
藤原純友すみとも瀬戸内海の海賊を率いて反乱を起こす〔939〕。
藤原隆家たかいえ「刀伊の入寇」〔1019〕で刀伊を撃退した、当時の大宰権帥。
藤原詮子  せんし/あきこ一条天皇の母であり、初の「女院」。弟は道長。
藤原清衡きよひら奥州藤原氏の初代。
藤原基衡もとひら奥州藤原氏の2代目。
藤原泰衡やすひら奥州藤原氏の3代目。
藤原頼経よりつね鎌倉幕府の第4代将軍。
藤原頼嗣よりつぐ鎌倉幕府の第5代将軍。
藤原元命もとなが百姓らが元命の悪政を訴えた文書『尾張国郡司百姓等解文』で有名。
藤原陳忠のぶただ『今昔物語』のヒラタケの話で有名。