唱歌『鎌倉』クイズ

今回の記事は、ZED・CORDWELLさんから投稿していただいたクイズになります!

テーマは「唱歌『鎌倉』」。
ちょっと難しいけど、全部で10問!
いってみましょう!!

①「稲村ヶ崎名将の剣投ぜし古戦場」からの問題。潮が引くのを念じて剣を投じると、見るまに潮が引いて干潟となったという伝説がある武将は誰でしょう?
新田義貞
鎌倉末期から南北朝時代に活躍した武将の一人ですね
②「極楽寺坂越え行けば」からの問題。1333年の鎌倉の戦いでは、極楽寺坂を守護していた幕府方の武将は誰でしょう?
北条貞直(大仏貞直)
極楽寺口防衛では凄く堅い守りだったみたいで反幕府方の大舘宗氏がここで戦死しています。
③「露坐の大佛」からの問題。唱歌『鎌倉』に歌われる「露坐の大佛」とは鎌倉大仏(阿弥陀如来坐像)のことですが、その手の形は九品来迎印のうちどれでしょう?
上品上生
九品来迎印の一つで、上品では両手を胡坐の上におき、中品では両手を胸の前に開くようにし、下品では片手を上に片手を下向きにします。
④「雪の下村過ぎ行けば、八幡宮の御社」からの問題。この歌詞に歌れている「八幡宮の御社」とはどこのことでしょう?
鶴岡八幡宮
鎌倉の雪ノ下という地名は古い書物によると、雪を長櫃(ながびつ)に入れて夏に備えて貯蔵させたことが由来とされています。
鶴岡八幡宮の祭神は応神天皇、比売神(ひめがみ)、神功皇后とされてます。
⑤「上るや石のきざはしの左に高き大銀杏」からの問題。鶴岡八幡宮の銀杏近くにある石段で暗殺された鎌倉幕府第3代将軍は誰でしょう?
源実朝
今ではこの大銀杏は倒されてます。
百人一首の一つ「よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも」の読み手である鎌倉右大臣とは源実朝のことです。
⑥「若宮堂の舞の袖、しずのおだまき、くりかえし」からの問題。鶴岡八幡宮の社前で源頼朝に命じられ白拍子の舞を舞ったとされるのは誰でしょう?
静御前
⑦「鎌倉宮にもうでては、尽きせぬ親王のみうらみに悲憤の涙わきぬべし」からの問題。この歌詞に出てくる親王とは誰でしょう?
護良親王
護良親王は後醍醐天皇の皇子で、後醍醐天皇とともに鎌倉幕府を倒し建武の新政を実現するが、足利尊氏と対立し、東光寺に幽閉されて命を落としたとされてます。
⑧「興亡すべて夢に似て 英雄墓はこけむしぬ」からの問題。大倉法華堂に葬むられ、現在の墓は白旗神社の近くにある人物である鎌倉幕府初代将軍は誰でしょう?
源頼朝
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では大泉洋が演じています。
⑨「建長、円覚古寺」からの問題。建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つを総じて何というでしょう?
鎌倉五山
中国の五山制度にならった、五つの臨済宗のお寺です。
⑩唱歌『鎌倉』の作詞をした国文学者は誰でしょう?
芳賀矢一
芳賀矢一は國學院大学の学長であり、神職資格を取得できるのは國學院大學と皇學館大学だけとなってます。

問題の不備やご意見はコメント欄かお問い合わせにお願いします。

ZEDさんの他の記事もチェック