花の名前の革命

花の名前の革命をまとめました。

【カーネーション革命】

1974年4月にポルトガルでそれまでの独裁体制を打破するために起きた無血革命。

1932年から始まったサラザール首相などによる長期にわたる独裁体制(エスタド・ノヴォ)と、アフリカの植民地支配を批判する声が強まったことで、スピノラ将軍が指揮する{国軍運動(MFA)}によるクーデターを首都 リスボンで起こし、この独裁体制を終わらせた。
カーネーションが革命のシンボルとなったことからこのように呼ばれる。
「ポルトガル革命」や首謀者が主に青年将校であったことから「大尉たちの革命」などとも呼ばれる。

ポイントは、1974年」「ポルトガル」「大尉たちの革命

 

【バラ革命】

2003年、当時のグルジア大統領が市民の抗議活動によって辞任に追い込まれた事件。

当時の大統領を務めていた元ソ連の外務大臣、シェワルナゼが統治するグルジアでは、民族分離運動などが起きており、これにロシアが関与しているとされていたこともありシェワルナゼ政権に対する人々の不満が増大した。そんなこともあり、議会選挙の際に大規模な反政府デモが起こり、シェワルナゼは辞任に追い込まれることとなった。
バラの名は、軍事的衝突を避けるために、非暴力の象徴として掲げられたバラの花にちなんでこう呼ばれる。

ポイントは、2003年」「グルジア」「シェワルナゼ

 

【チューリップ革命】

2005年、キルギスで行われた議会選挙で不正があったとして、抗議運動が各地で起こり、当時のアカエフ政権が崩壊した事件。

抗議運動の中で一部暴徒化した市民への武力弾圧を控えた当時のアカエフ大統領は、ロシアに避難し、事実上の政権放棄をした。
その後任となったバキエフ大統領も2010年に市民らの怒りを買い大統領辞任後、ベラルーシに亡命している。
チューリップの名はアカエフ大統領が、グルジアとウクライナで起きたカラー革命をキルギスで起こすべきではないという演説の中で使った事に由来する。

ポイントは、2005年」「キルギス」「アカエフ

 

【ジャスミン革命】

2010年に起きた青年の焼身自殺を皮切りに反政府デモが拡大し、当時のチュニジア政権が崩壊した事件。

青年、ブアジジが政府への抗議の意で行った焼身自殺が経済的困難に喘ぐ人々に刺さり、やがて抗議デモがチュニジア全土へ広がっていった。
混乱の収束が果たせなかった当時の大統領、ベン・アリは、翌年1月にサウジアラビアへ逃亡し独裁体制の終焉を迎えた。
この事件がアラブの春の発端ともなった。
ジャスミンがチュニジアを代表する花であることからこう呼ばれる。

ポイントは、2010年」「チュニジア」「アラブの春の発端

 

まとめ

西暦花の名前
1974ポルトガルカーネーション
2003グルジアバラ
2005キルギスチューリップ
2010チュニジアジャスミン